| ■No32679に返信(もん太さんの記事) > 先生が、「√[3]xとx^1/3は厳密にいうと、違うものだ」といっていたのですが、 > 理由を聞きそびれてしまいました。 > > どういうことだと思いますか?知っていたら教えてください。
という「記号」は, 指数法則 が成り立つようにべき指数 や を整数から有理数へ拡張するとき, 任意の有理数 に対して「 を満たす何者か」を示唆するもの. 一方の は に対して となる を示唆している記号. この場合, としてやると は少なくとも を満たす必要があるということが言えるので, それ以外の でも「話がうまく行く」ことを要請している という「記号」を使おうとする場合のほうが「要求が強い」ということで, そういう意味では「厳密には違う」のかもしれない(実数の範疇で話をしている前提のもとであれば, 実際にはこれらの記号によって指し示される実数は同じものになるので, 違うと言ってもニュアンス程度の違いにしかならないが).
3乗根でない一般の冪根の場合や, 複素数の冪根, あるいはもっと別のシチュエーションではどうなるのか, とかいろいろ考えるとニュアンス以上の違いを見つけるかもしれないが, 今の段階ではただの言葉遊びになってしまわないとも限らないので, むしろあまり深入りせずに「ふーん」と言って適当に流しておくほうがいいように思われる.
なお、こういう「記号」を導入しようとするとき, その記号によって指し示そうとする概念をきちんと満足する「何者か」が実際に存在するかしないか・存在する場合唯一つ定まるか, というのは記号の形式的な導入とは異なる問題であるということは心のどこかに留めておくべきかと思う. 実際, 一意的に特定の概念を指し示すことができないのなら, わざわざそのような記号を用意しても役に立たないなんてことになるわけで, 定義の妥当性 (well-definedness) はどんな定義をするときも重要. まあ, 学校数学をやる分には余計なことかもしれないが.
# mimeTeX のデフォルト動作ではないとは思うが, 添字部分にスラッシュの形式で分数を書き込んだら勝手にまともな組み方ではありえない見苦しいスタイルに変換される, というのは勘弁してくれ……. 回避するためにかなり汚いソースを書くハメになったじゃないか. # 微妙な NG ワードには笑ったが(いや気持ちはわかる, 確かに質問者が使ったらアレだなと思う語だ→「谷欠」).
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